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2006年3月の日記 (全76件) / タイトル一覧

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2006年3月1日(水)

[アイドル] 出来心でTPDビデオコンプリート

あーあ、買っちゃった(笑)。
TPDビデオ
ついに東京パフォーマンスドールのビデオを全部そろえてしまいました。
まあ正確に言うと武道館ライブ第二部だけ抜けていますが、これについてはすでにDVDを持っているので、実質的にはコンプリートです。

このビデオは、先週土曜日にヤフオクで落札しました。2月26日の日記で書いた「大きな買い物」とはこのことです。落札価格を明かすと「お前アホやろ」と言われそうですが、とりあえず4桁後半とだけ言っておきます。なにせ25人もの入札があった人気商品で、思っていたより値段がつり上がってしまったので。

ちなみに、厚生年金会館のライブを収録したVol.7、8と横浜アリーナでのライブを収録したVol.11、12はすでに持っていますので、この4本は近々オークションに出そうと思っています。ぜひ高く買ってください…と言いたいところですが、そもそもこの4本は普通に中古市場に出回っているんですから、まず高値はつかないんですよね。レアなのはVol.0~6とVol.13です。なにせ今まで一度も見たことがありませんでしたから。
今回のビデオコンプリートは決して安い買い物ではありませんでしたが、都内の中古店を探し回る手間を考えると、まあ妥当なのかな、という気もします。

さっそく、1本目のビデオを見ています。
涼子かわいいよ涼子。
よねみ、歌うますぎ。
知砂ちゃんかっこいいね。
それにしても木原さとみの「おばさん臭さ」が際だちます。当時18歳か19歳とは思えない圧倒的な存在感(笑)。がんばれリーダー!

ついでに2本目のビデオを見てます。
パジャマ姿の麻衣ちゃん、すっごくキュートです。
「ラッキー・ラヴ」の市井バージョンもいい感じですね。
よねみ、17歳にして完成度高すぎ。
やっぱ涼子は美少女だわ。

TPDについては、また別の機会に熱く語らせてください。

2006年3月2日(木)

[QMA3] 名門校でも首席でもない弱小賢者の日記

今度の仕様変更は名門校と首席の表示ですか。あまりの仰々しさにびびりましたよ。何もあそこまで大げさにしなくてもいいのに。
というわけで、今日はプラザカプコン吉祥寺へ行ってまいりました。
いつものように戦績です。

3戦 0-0-0-1-2-0-0(0-1-0)

今日もケルベロス組にとどまることができました。
それにしても、賢者四段以上がペガサス組に落ちやすくなったせいか、あからさまに人が少なくなっていますね。今日の最終戦なんて、まだ夜11時を過ぎたばかりなのに6人しか集まらなかったし。おかげで決勝まで残ることができました。4位でしたが…。
3回戦落ちした時のアニゲ多答では、あやうく0点を取ってしまいそうでした。正解率40%以下の難問ばかりが出て、5問目終了時点で0点。6問目も正解率2割そこそこの問題が出ましたが、稼動初期に自力で答えを調べた問題だったので、どうにか答えを思い出すことができました。

最近、ペットを魚に変えました。もちろん色は青です。アニゲと、アニゲの次に正解率が低いスポーツとの間には4%の開きがあるので、ペットが青以外の色になることはまずあり得ないと思います。どうにか苦手を克服したいと思っているのですが、どうしても記憶に定着しないんですよねアニゲって。まさに「好きこそものの上手なれ」の逆を行ってるわけで。でも、そうばかりも言っていられません。せめて多答以外はある程度答えられるように努力したいと思います。

[お仕事] 紙媒体に初めて自分の名前が載るということ

とあるフリーペーパーのインタビュー記事に、自分の名前が載ります。書店やコンビニでは入手できないので、皆さんがお目にかかる可能性は低いですが、それでも全国で20万部近く発行されているらしいです。
この記事は僕自身が書いたことは書いたのですが、実際はインタビューに同行した先輩に、自分の未熟な原稿を大幅に修正してもらっています。僕の名前が出るなんて、とてもおこがましい話です。
とにかく、紙媒体の記事に僕の名前が出るのはこれが初めてです。

「紙媒体」という書き方をしましたが、ネットでは過去に自分の文章が載ったことがありました。「フォーキー」などというハンドルネームではなく、本名で書いた文章です。
1999年の初頭だったと思います。ある競馬サイトで「予想コラムコンテスト」という企画がありました。グランプリおよび準グランプリには賞金が出るほか、そのサイトで連載を持つことができるかもしれない、というものでした。
僕は競馬の予想を媒介とした自伝的なコラムを書き、コンテストに応募しました。残念ながらグランプリは無理でしたが、それでも準グランプリを獲得し、賞金1万円をもらうことができました。応募が全部で何通あったかは知りませんが、受賞者はグランプリが1人、準グランプリが2人の計3人だけだったので、それなりに高い競争率をくぐり抜けたものと思われます。
コラムは、僕の名前とともにサイトに掲載されました。たくさんの人が僕の文章を読んだと思います。もちろん今となっては読むことはできません。僕自身も文章を保存していないので、どんなことを書いたのか細かいことは忘れてしまいました。
結局、コラムの執筆依頼は来ませんでした。それどころか、コンテストを開催したサイトも今はありません。現在の「netkeiba.com」に統合された、と記憶しています。
これが、初めて僕が公の場で文章を書いた時のことです。

その数か月後、ライターの事務所に所属することになりました。紙媒体のデビューは、とある有名週刊誌の記事です。当然のことながら僕の名前が載るはずがありません。
この1年後にはある雑誌の編集者になりますが、やはり記事に自分の名前が載ることはありませんでした。というか、あまり積極的に名前を載せたくありませんでした。なにせ、世間からはエロ本と認識されているような雑誌でしたから。

ネットに僕の文章が載ってから7年。まもなく紙媒体に、僕の名前が記載された記事が載ります。
7年前、大学卒業を間近に控えながら就職が決まっていなかった僕にとって、自分の名前が載った文章を雑誌に載せることはひとつの夢でした。
それがようやく現実となるわけですが、特にこれといった喜びも感動もありません。
この7年の間、雑誌の記者や風俗誌の編集者、ネットショップの管理者と、いろいろなことを経験してきました。もはや、少しくらいのことでは感動できなくなってしまったようです。

2006年3月3日(金)

[競馬] 競馬コラム話の続き

きのうの日記について、たかしおのさんからコメントをいただきました。あの競馬サイトの予想コラムコンテストを見ていた方、覚えていた方がいたんだなぁと感激しました。
しかし、なにせ7年も前のことなのでほとんど覚えていません。それでも何かを思い出そうとしていたら、ふとあることに気づきました。
「コラムコンテストで準グランプリを取った時の、メールが残っているはず…」

こういう時だけは、昔のメールを捨てずに取っておく習性が役に立ちます。
5000通を超えるメールの中から、意外にすんなりとそのメールは見つかりました。
1999年2月2日。件名「コラムコンテスト結果ご案内」。
このメールで、サイトの名前が「ダービースクエア」であることも思い出しました。

このたびは、コラムコンテストへのご応募ありがとうございました。 選考の結果、あなたは見事準グランプリを受賞されましたので遅くなりましたがご連絡いたします。 賞金は2月下旬ころ、銀行振込にてお支払いいたします。 おりかえし、銀行の口座番号をご連絡ください。

また、当方にて新しく計画しているメールサービスにてコラムの執筆依頼をする可能性があります。この件についてはまだ未確定なので、後日またご連絡いたします。

ちなみにメールの送り主のアドレスが「edge.co.jp」だったので、調べてみたらやっぱりあのエッジ、つまりライブドアだったんですね。さらに調べると、ダービースクエアというサイトはあの堀江氏が立ち上げたもののようです。へー、知らなかった。
それからひとつ訂正。きのうの日記で「コンテストを開催したサイトはnetkeiba.comに統合された」ということを書きましたが、僕の勘違いでした。ダービースクエアはnetkeiba.comではなく、「競馬最強の法則」のサイトの前身です。

ところで肝心のコラムの内容ですが、文章の一部分が見つかりました。
準グランプリの知らせを受けた直後、友人に自慢するためにコラムの原稿をメールで送りました。友人はすぐさまメールを返してくれたのですが、その内容に僕のコラムの引用部分がありました。もしかしたらその友人がコラムの全文を今も持っているかもしれませんが、今のところは彼のメールに記された断片的な文章が唯一の記録です。

テゾロもシンザン記念以後、掲示板にすら載れないレースを続けた。 なまじ若い頃に無傷の3連勝などしてしまったから、「俺は本気を出せばいつでも走れるんだ」などと勘違いしてしまったのだろう。だけど彼が真剣に走らないのは、本気を出して負けるのが怖いから、彼が臆病だったからなのかも知れない。 挑戦をしなければ、いつまでも「無限の可能性」でいられる。そんな自分が好きなだけで、現実から目を背けようとする。臆病な自分をうすうす感じながらも、そんな自分を強がりの心で覆い隠そうとする。

メイショウテゾロを話題にしたのは、予想するレースがシンザン記念だったからでした。
1995年、デビューから3連勝で3歳春のシンザン記念を勝った同馬でしたが、その後1勝もできずに24連敗。98年にひっそり引退しました。そんな同馬にとって、シンザン記念以来たった一度の晴れ舞台が、95年のマイルチャンピオンシップでの16番人気2着でした。馬連のオッズはなんと1000倍を超え、メイショウテゾロ(と上籠騎手)の名前は競馬ファンの脳裏に深く刻まれることとなったのです。
僕が書いたコラムは、自分自身をこのメイショウテゾロになぞらえつつ、ついでに1999年のシンザン記念を予想するという内容でした。
予想そのものはどうでもいいです。本命にエイシンキンボールを推してしまったのは今考えるとあまりに痛いですが、そもそも予想が当たるかどうかは、コラムのコンテストにはあまり関係がなかったので。
挫折を恐れる「天才」、というコラムのタイトルだけは今でもはっきりと覚えています。
挫折をしたくないから本気を出さない。本当の自分は誰にも負けない天才なんだ。現に子供の頃は何だって簡単にできたじゃないか。そんな現実逃避的な思考をしていた、就職も決まっていない当時大学卒業間近の僕。
まあ21歳という若さだったから、ネタとして成立したんでしょうね。

ともあれ、こんな昔の文章をこんなところで晒すのはやっぱり恥ずかしいものです。ところで、もしコラムを保存していた人がいたら僕の本名がばれちゃいますね。別に知られて困るわけではないですが、仮に僕の本名が分かっても、ネット上でそれを晒すことだけはご遠慮いただければと思います。
蛇足ですが、昔は「挫折を恐れる天才」という言葉をネットで検索すれば僕の名前が出てきました。今はもう出てきません。そのことを確認してからこの日記を書きました。やっぱり、ネット上で本名が出るのは恥ずかしいですからね。

2006年3月4日(土)

[評論] 駒大苫小牧のセンバツ出場辞退に思う

いつもは当たり障りのないことしか書かないこの日記ですが、たまには賛否両論がありそうなネタを書いてみたいと思います。

駒大苫小牧が、センバツを辞退したというニュース。
以前も部長の暴力事件で騒がれましたが、今回は3年生の飲酒と喫煙ですか。
この手のニュースを見るたび、本当に嫌な気持ちになります。
なんてバカなんでしょう。
ここで言う「バカ」が誰なのかは、おいおい書くとして。

まずはっきりさせておくべきなのは、今回の事件は大会に出る選手とは全く無関係だということです。
「不祥事」なんて言われてますが、高校生10人が勝手に飲んで騒いだことの何が「不祥事」なのか。少なくとも当事者や、当事者の保護者にとっては間違いなく不祥事ですが、学校や野球部にとっては自分たちの関係ないところで起きた「個人が勝手に起こした犯罪」であり、そんなことを未然に防ぐのはまず不可能だし、そもそも「学校およびその活動とは関係ないところで起こす生徒の犯罪」を、学校が取り締まる義務も権利もないはずです。まして高校は義務教育じゃないわけですから。
責任を取るべきは、彼らの保護者だけです。
逆に、校長やら監督やら部長が辞職することで「学校が責任をとった」ふりをすることで、真に責任がある親たちの罪の意識が少しでも軽くなってしまうとすれば、そっちの方が大きな問題です。
別に学校の中で喫煙したわけじゃないんだから、学校としては一方的に「学校の外での犯罪については、我々は一切の責任はありません。でも、犯罪者は犯した罪の程度によって停学などの処分を科します」と言い放ってしまえばいい。一介の私立高校が、学校とは関係ない場所での生徒の行動についていちいち「責任」を取らなきゃいけないとしたら、僕だったらそんな学校の経営をしたり、教師として働いたりしたくないですね。だってバカバカしいから。

そして、言うまでもなく最大の犠牲者は、春のセンバツに出られなくなった選手たちです。
なぜ、他人の犯罪について自分たちが責任の一端を負わなければいけないのか。
少なくとも校長や野球部顧問以下、学校関係者は事件に関わっていない。もちろん他の野球部員も。それなら堂々と大会に出ればいいのに、それができない。
なぜか。
今回の事件で最も大きな問題がそこなんですよね。

要はさっき書いたとおり、学校側は「あいつらが勝手に外でタバコ吸って補導されただけでしょ。うちは無関係だし、聞きたいことがあるなら本人の親にでも聞いてくれ」と言える立場なわけだし、本来はそう言いたいはずです。しかし、それができない。なぜできないかといえば、世間がそれを認めないから。
冒頭で書いた「バカ」とはタバコを吸った高校生でもなければ、「責任」を取って大会出場を辞退し、校長などを更迭した学校でもありません。学校の外で起きた犯罪について、学校に責任を転嫁することを求める社会こそが「バカ」なのです。
だってどう考えてもおかしいですよ、今回の事件の成り行きは。
たとえばこれが「部員同士の暴力事件で2人が重傷」とかだったら、大会出場辞退や顧問の更迭は当然の処分だといえるでしょう。しかし、何度も言うように今回の事件は学校や部活の外で起きたことであり、それについては彼らの保護者がすべての責任を負うべきことで、学校は責任を負わなくてもいい、というより負ってはいけないんですよね。

まさか「普通の高校生がタバコを吸ってもたいした罪にはならないが、高校野球の強豪校の野球部員がタバコを吸ったら大きな罪になる」なんて考えている人はいないと思うけれど。
それでも今回の事件は、そんなふうにしか見えません。
犯罪は本人たちだけの問題だからそこで終わらせればいいものを、わざわざ後輩や学校全体を巻き込まないと気がすまない誰かがいることに、ものすごく強い嫌悪感を覚えます。

高校は、義務教育を終えた人たちがわざわざ勉強をしに行くところです。その一環として部活動があるだけのことです。それ以上でもそれ以下でもありません。まして「子供をしつけるところ」でもなければ「犯罪を取り締まったり、未然に犯罪を防ぐために最大限の努力をする」ところでもありません。
いったい世間は、高校という組織に何を期待しているのでしょうか?

まとまりのない文章ですみませんでした。なんか明日も仕事が残っていたりするのでもう寝ます。

2006年3月6日(月)

[QMA3] 今年初めての遠征記・前編

プライベートで遠くへ行ったのは、今年になって初めてです。
仕事では先週の金曜日、小田急に乗って神奈川県厚木市まで行ってきたばかりですが、休日は家でごろごろするか、出かけるにしても近所で買い物のついでにゲーセンへ行くぐらいで、遠くへ行くことはありませんでした。ちょっと前まではこのサイトも「QMA放浪記」というタイトルで、暇を見つけては遠くの街へ出かけたりしたものですが、最近はめっきり遠征の機会も減ってしまいました。愛知県にいた頃と違って車がないし、バイクで遠くに行くにはまだまだ寒いし、わざわざ遠くへ行こうという気がなかなか起こらないのが現実です。

さて、土曜日ですが僕は会社で仕事をしていました。本来ならば休みの日ですが、いろいろと仕事がたまっていたので昼過ぎに会社に来て、夜の9時半までパソコンの前でカタカタと作業をしていました。
会社へはバイクで行きました。仕事を終えた後、せっかく都心までバイクで来たからどこか遠くのゲーセンへ行こうと思い、東京ドームの近くにある会社から北東へ向けてバイクを走らせました。
新宿より東にバイクで来たのは初めてでした。どこをどう走ったらどこに出るのかよく分かりません。通り過ぎる交差点には、聞いたことのある電車の駅名が。巣鴨、王子、赤羽…。いつの間にかバイクは東京都を越え、埼玉県川口市までたどり着きました。
とりあえず、川口のゲーセンへ行ってみよう。
案内標識に従い、川口駅に向かいます。駅を見つけるのより先に、ゲーセンのネオンサインが目に飛び込んできました。
AM PIA川口店
AM PIA川口店。川口駅東口からすぐの場所にあります。
QMAは6台ありましたが、さすがに土曜の夜ということですべて埋まっていました。後ろで待っていたらすぐに空いたので、とりあえず2回だけプレイしましたが、椅子の低さが少し気になったのと、周辺にプライズの筐体が置いてあるので、あまり落ち着いてプレイできる環境ではないと思いました。各筐体にメモ用紙が置いてあったのはよかったのですが。

時刻は夜11時。川口駅周辺のもう1店舗、ゲームシティ川口店へ向かいます。駅から離れていたために少し迷いましたが、なんとか営業時間内にQMAをプレイできる時間帯に到着することができました。
ゲームシティ川口
ここには無料の駐車場と駐輪場があります。写真の中には僕のバイクが微妙に写っています。さて、どれでしょうか?
ゲームシティ川口店も6台設置されていました。プレイ環境はPIAよりいい感じです。
時間の都合で1ゲームしかできませんでしたが、その回でよりによって2回戦落ちをしてしまい、初めてペガサス組に降格してしまいました。

このままペガサスで終わりたくないからと、24時間営業のウェアハウス岩槻店に向かいました。
もともと岩槻に行く予定なんてなかったので、ろくに地図も見てきませんでした。川口から岩槻なんてすぐに着くだろうと思っていました。しかし、甘かったです。
川口から岩槻まで、18キロもあるんですね…。
時刻は深夜0時前。さすがに寒くなってきました。それほど厚着をしてきたわけではなく、バイク乗りにとっては最もつらい状況です。
しかし、僕は根性だけで国道122号を北上し、どうにか目的地のウェアハウス岩槻店にたどり着くことができました。

ウェアハウス岩槻店は、実は今回が初めてではありません。昨年の4月に一度訪れています。今回が2回目です。あの奇妙な入り口やトイレ、出口にも特にびっくりすることはありませんでした。
深夜0時を回っているのに、店内は人がいっぱい。その大半は男女のカップルやグループです。薄暗いだけでなく、うまい具合に筐体がひしめき合って狭苦しい感じの店内。人の密度が、よりふくれあがって見えてしまいます。

みんな楽しそうだなぁ。どうして僕だけ一人でこんなところまで来たんだろう…。

なぜか急に寂しくなってきました。
こんな時はゲームに集中するのに限ります。QMAをしたり、ポップンを叩きに行ったり。午前1時以降の深夜プレイが昨年末以来だったので、新鮮な気持ちでゲームに臨めました。ゴールデンタイムにはなかなかお目にかかれないプレイヤーたちにも会えるので、深夜も楽しいですね。

ふと携帯を見ると、一通のメールが届いていました。

(つづく)

[日記] 今日は眠いので…

申し訳ないですが日記の続きおよび掲示板、コメントへのレスは明日にさせてください。
それでは、おやすみなさい…。

2006年3月7日(火)

[QMA3] 今年最初の遠征記・後編

きのう書いた前編の続きです。

3月4日、土曜の深夜。埼玉県さいたま市のウェアハウス岩槻店でQMAをプレイしていました。
仙台のぽにさんが、群馬のシーサイドパーク通りから参戦してきました。シーサイはお祭り日和なのでしょうか。
ふと携帯電話を見ると、メールが届いていました。
「今ぽにさんの後ろにいます」
あきさんからでした。
ここで迷わず「よし、シーサイに行こう」と思えるのが僕のすごいところです。この寒いのにバイクで群馬なんて、僕にしかできないですよこんなこと(笑)。
国道122号線を北へ向かいます。寒さをこらえながら45分。シーサイに着きました。
店内にはあきさん、イオラさんや地元のプレイヤーの方はもちろん、えーすさん、ぽにさんなど遠方からの方々の姿も。総勢10人ほどでしょうか。
しかし、いい歳をした大人たちが「仕事の帰りに駅前の居酒屋で飲み会」でもなく、こうして集まれるのっていいですよね。
シーサイに着いたのが閉店間際だったため、皆さんとはあいさつを交わすだけで終わってしまいました。よく考えると、今まで何度かシーサイに来ていますが毎回深夜なんですよね。今度はもっと早い時間帯に遊びに行けたらと思います。
この後、あきさんの車に同乗して、えーすさんを駅までお送りしました。ウルトラクイズの知識には感服しました。
空が明るくなってきました。朝食を食べに行った後、あきさんの家におじゃますることに。いつも突然遊びに行っているのにもかかわらず、今回も泊めていただきました。本当にありがとうございます。

日曜の昼。群馬県太田市に先月26日オープンしたばかりの、レジャーランド太田店へ行きました。
いかにもレジャランらしい、だだっ広い店内と明るい照明。QMAは普通に4台でした。
ここではひたすらクイズ。気付くと11回もプレイしていました。QMAばかりぶっ続けで10回以上プレイするのは本当にひさしぶりです。学問の新問が大量に出てきたので、いつも以上に楽しめました。

午後6時。あきさんとはお別れです。
もともとはQMAのプレイヤーとして知り合ったわけですが、今では仕事や生き方の面でもいい影響を受けています。QMAをプレイしていなければ、こんな出会いはなかったわけで。そう考えると不思議というか、偶然ってすごいですよね。

群馬の南端から東京都の真ん中へ帰る旅。途中で立ち寄ったのはキャロム狭山店です。
キャロム狭山店
以前行ったキャッツアイ狭山店のすぐ近くです。ゲーセンの規模ではキャッツアイに劣りますが、QMAの環境は決して劣りません。また、ゲームだけでなくカラオケやビリヤードも楽しめる店です。

夜遅いし、次の日は仕事なので、この1店だけで帰ることにしました。
土曜昼から続くハードスケジュールだったので、さすがに眠くなり、遠征日記を書き終えることなく寝てしまいました。
それでも僕にとっては久々の遠征。本当に充実した、楽しい24時間でした。

2006年3月8日(水)

[QMA3] 土曜と日曜の戦績

日記が遅れています。仕事が忙しいこともあって、今日もこんな時間になってしまいました。
遅ればせながら、土曜と日曜の戦績を晒してみたいと思います。

まずはゲーセン別。

・3月4日(土)

AM PIA川口店
2戦 0-0-0-0-1-1-0(0-0-0)

ゲームシティ川口店
1戦 0-0-0-0-0-1-0(0-0-0)

ウェアハウス岩槻店
11戦 4-1-0-0-3-2-1(2-1-3)

シーサイドパーク通り
1戦 1-0-0-0-0-0-0(0-0-0)

・3月5日(日)

レジャーランド太田店
11戦 1-2-0-0-5-3-0(0-0-1)
0点1回(アニゲ一問多答)

キャロム狭山店
2戦 0-1-0-0-1-0-0(0-0-0)
100点1回(芸能順番当て)

12月以来、通算3回目の0点。アニゲ多答で、僕にとっての超難問が6問連続で出てきました。80%台の問題でも平気で間違えますからねアニゲ多答は。3回戦でよかった。
100点も久々。ほぼ1か月ぶりで、通算16回目。この時は他にも一人100点がいたため、予選トップは取れませんでした。まあ僕が100点を取れるぐらいだから、それなりに簡単な問題だったわけで。
続いて、組別の戦績。2日間の合計です。

ケルベロス組
18戦 1-0-0-1-9-6-1(0-1-0)

ペガサス組
13戦 5-4-0-0-3-1-0(2-1-4)

あからさまに違いますね。もっともペガサス組の5勝中4勝は土曜深夜のウェア岩槻でプレイしたもので、人が少なかったから勝てたようなもの。翌日昼の太田では7戦1勝2位3回。ペガサス組でもしょぼい成績です。
もっとも決勝で勝てないだけで、予選は完全にペガサス組の方が楽です。2回戦を45点でトップ通過した時はびっくりしました。逆にケルベロスでは、3回戦のアニゲエフェクトで全問正解して8位ですからね。僕は決してタイプスピードが遅い方ではないと思うのですが、見切りのスピードがケルベロス組常駐のプレイヤーに比べて遅すぎます。まさかあれほど差をつけられるとは思いませんでした。
それでも、ケルベロスとペガサスを行ったり来たりできるようになって本当によかったです。ペガサスへ行けば勝つチャンスがありますから。やっぱりゲームは勝てないと面白くありません。

さて、そんなわけで週末は新たに4つのゲーセンへ行ったわけですが。
そういえばQMAプレイ店舗一覧、長いこと更新せずにほったらかしになっています。なかなか暇がなくて手をつけられませんが、今度の週末あたりには更新したいと思います。

[QMA3] 突然の来客

きのうは仕事を終えた後、久々に中野へ行きました。どこかで晩飯を食べて、ゲーセンに寄ってから帰ろうと思っていたら、携帯にメールが。でかいひとさんが吉祥寺に来ているとのことでした。
さっそくプラザカプコンで合流。QMAもそこそこに、まずは食事へ。
なんでも週末はあるイベントに参加して、ニッカンスポーツの野崎さんを生で見てきたそうで。いいなぁ。熱すぎます。そんな興奮もののエピソードに加えて、QMAの遠征話をいろいろ。北は旭川から南は大野城まで、全国各地を旅打ちする行動派。QMAに金メダルやスクールポイント以外の価値を見いだすことは素晴らしいと思います。僕も負けていられないなぁ。
すっかり話し込んでしまったので、時間がなくなってしまいました。あわててプレイロットジョイ、ディンドンの両店へ。でかいひとさん、これで吉祥寺4店舗制覇です。
今回はあわただしくなってしまいましたが、次回は例のオフ会でワイワイと騒ぎましょう。楽しみにしてますよ。

僕はディンドンで1戦だけプレイしました。戦績です。

ケルベロス組
1戦 0-0-0-0-1-0-0(0-0-0)

7人しかいなかったのに6位で3回戦落ち。これがケルベロス組です。

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プロフィール

【フォーキー】
編集者
1977年2月20日生まれ
東京都武蔵野市在住
愛知県出身

↓メールはこちらまで
folkymountain@gmail.コム