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世界の趨勢から身近な話題まで、
乏しい知識で偉そうに語ります。

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2009年3月14日(土)

[評論] TBSのストライキとネットの反応

普段あまりリアルタイムでテレビを見ることがないので、このこともネットのニュースで知ったわけですが。
テレビ局のストライキで、アナウンサーが出なくなるのは珍しいですよね。

それで、この件に対する「Yahoo!ニュース」での反応を見てみると、予想通りというか、あきれる内容ばかりでした。
もっとも、このコメント欄は2ちゃんねる以上に非人道的なコメントが書かれることが多いことで知られており、そんなところをのぞきに行くのは、自分から肥だめに突っ込んでいくようなものですが。
その中から目立ったコメントをひとつ紹介します。

世間一般よりはるかに高い給料でそういうことをするのは常識外。 テレビのキー局だからといって今はケーブルやビデオなどもあるし この不景気でCM収入も減っているのに何考えていると思う。 縁故採用が多いのが原因ではないのか? 下請け会社に安い金額で番組を作らせているくせに 苦労知らずのお坊ちゃまやお譲ちゃんが多すぎる。

へー、あなたは普段よっぽど苦労なさっているんですねー。お察しします(棒読み)。

これと同じ人の、別のニュースに対するコメントがこれ。

あんな人権もなく知的財産も人の国も侵略する国とアメリカが本気でつきあうとはおもえないが、 半島の国と中国はアジアの恥だ。適当にあしらっとけ。

中国人と韓国人に、何かひどい目にあったことがあるのでしょうか。まさか、ネットの情報だけを鵜呑みにして、見ず知らずの人々を嫌ったり差別したりしてないですよねぇ。まさかね。ははは。
この人のほかにも、TBSを非難していた人が、別のニュースで人種差別的なことを書いていた例が目立ちました。

ちなみに、別の人が書いた常識的なコメントに対しては…。

争議権は労働者に保証されている当然の権利。頑張れ!

「私はそう思わない」の評価が、「私はそう思う」の2倍でした。
このコメントを評価している人の3分の2が会社の経営者なんでしょうか。んなこたーない。

「この話題に関するブログ」をざっと見てみても、TBSを非難する言葉が並んでいました。数あるブログサービスの中でも、Yahoo!ブログのユーザーは全体的に偏った(端的に言えば「思いやりのない」)人が多いように思います。もちろん全員がそうではなく、あくまで割合の問題ですが、サービスがニュース欄と連動しているのがその理由でしょうか。

次にmixiの日記を見てみました。TBSを叩く人は、Yahoo!ブログほど多くありませんでしたが、それでも「少数派」といえるほど少なくもありませんでした。
2点抜粋します。

そしてストのために現場を放棄するプロ意識の無さ。 本当にどこまで浮世離れしているんだろう?
ストライキしなきゃ意見も伝えられんのか? 上が話を聞かなくても本来ある仕事をホッポリだして穴をあけるとはプロのカザカミにも置けない。 雇用側は即刻クビにして業界で仕事できないようにしちまえ

プロ意識があるから、賃金や待遇に不満が出てくるんじゃないのかな?
労働が生み出した価値に見合わない低賃金で働くことこそ、プロ意識の欠如であり、労働に対する冒涜でしょう。
「雇用側は即刻クビにして業界で仕事できないようにしちまえ」なんて、何か個人的な恨みが透けて見えるようなコメントですね。会社の経営者で、ストを起こされたことがあるとか。でもそれって、ストを起こされるような待遇とか、まともに給与を支払えないほど利益の出ないビジネスモデルの欠陥を放置していた経営者が悪いんじゃないの?

一方、当該ニュースに対する「はてなブックマーク」を見てみると、見当違いな非難はほとんど見られませんでした。同じネットでも、コミュニティによってかなりの温度差があります。

ストライキなどの労働争議は、労働とその対価の不均衡を是正するための正当な手段であって、そこではもともとの給与水準は関係ありません。「年収200万円の人が300万円分の仕事をしている」「年収1000万円の人が1500万円分の仕事をしている」という両方のケースで給与アップを目的としたストが行われたとして、前者が「良いスト」で後者が「悪いスト」などというのは、恣意的判断以外のなにものでもありません。
そもそも、TBSと何の利害関係もない人たちが、なぜ怒る必要があるのでしょうか。彼らの言葉からは、妬み以外の感情を読み取ることができません。
そして、その妬みがこじれると「雇用者側について労働者を叩く」という行動に出るのでしょう。少し前に派遣村の人々を叩いていた人たちの心理も、これと似ていると思います。上のYahoo!のコメントで、TBSだけでなく中国や韓国を叩いている人なんかは、「常に誰かを叩いたり差別したりしないと精神がもたない」という、かなり危険な領域に入ってしまっているように見えます。この前に書いた、筑紫哲也さんが亡くなったときの反応もそうですね。

以上はネットで見かけた極端な例なので、一般の人々がここまで思っているわけではありません。
でも、日本社会はストライキに対してあまりにも不寛容です。
たとえば、ストで電車が止まったとき、どこに怒りが向けられるでしょうか。おそらく多くの人が、「ストを起こした労働組合」を叩くでしょう。本来なら真っ先に「ストの原因を作った会社」を非難するべきだと思うのですが。
ストライキそのものを否定することは、労働者にとって自分で自分の首を絞めることと同義なのですが、ストなんて身近な場所で頻繁に起きるものではないし、そこまでなかなか考えがおよばないんですよね。
例外といえるのは2004年にプロ野球選手会が起こしたストですが、あれだって中身は「選手会がNPBに対して権利を要求する」という労働争議そのものであって、「近鉄バファローズの消滅を阻止」「やむを得ない場合は新球団の創設を」という表面的な要求が、たまたまファンの意志と重なっていたから支持されただけのこと。もしストの要求が「給料のベースアップ」「年金制度の創設」とかだったら、どんな反応だったでしょうか。

労働者の権利が軽視されすぎているのがこの日本社会です。何より労働者自身が、権利を主張したり運動したりする労働者を非難する、たがいに足を引っ張り合う現状ですから絶望的です。
この間の派遣村問題だって、そのベースにあったのは伝統的な「労働者軽視」であり、その風潮を作っていたのは決して経営者だけではありませんでした。
僕も過去に、非人道的な労働環境を強いてきた会社に対して労働争議どころか、組合を作ることもできずに逃げてしまった過去があるので、偉そうなことは言えませんが、僕たち労働者はもっと自分の労働力を高く売ろうと常に考えるべきだと思うし、過剰な搾取や不正を行う経営者は厳しく非難すべきだと思います。公務員であろうが、高給取りのマスコミであろうが関係ありません。不正は不正ですから。

2009年2月19日(木)

[評論] 何か間違ってると思う

日曜日にこんなことがあったなんて、知りませんでした。

京大生、大麻所持で逮捕=「クラブでもらった。吸ったことも」-大阪府警

ポケットに大麻を所持していたとして、大阪府警南署は15日までに、大麻取締法違反の現行犯で、京都大法学部2年谷口将隆容疑者(20)=京都市東山区=を逮捕した。容疑を認め、「自分で吸うつもりで持っていた。3カ月前にも吸ったことがある」と話しているという。
(中略)
谷口容疑者は「クラブで会えばあいさつする程度の顔見知りの男性からもらった」と話しており、同署は入手先などを調べる。

(時事ドットコム)


大麻を吸ったのが、たまたま京都大学の学生だった。それだけの話です。
はっぴいえんどの鈴木茂氏も捕まってしまうような世の中で、一般の成人男性が大麻所持で捕まることは、それほど驚くような話ではありません。
そもそも京大なんて、1学年に4000人近くいるような大きな大学。中には犯罪に手を染める人が出てくるのも無理はありません。

さて、問題はこの後です。

京大、大麻事件で陳謝 防止対策を説明

大麻取締法違反(所持)容疑で京都大法学部2年谷口将隆容疑者(20)が逮捕されたことを受け、京大は16日、西村周三理事・副学長、初宿正典法学研究科長らが会見して謝罪し、今後の防止対策を説明した。
京大はこの日、大阪府警南署に教員と職員を派遣、警察から谷口容疑者が大麻所持と過去の吸引を認めているとの説明を受けた。法学研究科に調査委員会を設置し、本人から話を聞いて処分を検討する。
また緊急の部局長会議を開き、薬物乱用の禁止を求める通知文を作成して全学部生と全大学院生の約2万3000人に教員から電話などで直接知らせる「ローラー作戦」を行うことを決めた。新入生に対しても入学ガイダンスでカルト団体への注意などとともに薬物乱用の危険性を説明する。
谷口容疑者について初宿研究科長は「サークルなどに登録していないが、単位もそれなりに取っている普通の学生。法を学ぶ学生の逮捕を非常に重く受けとめている」と謝罪した。西村理事は「これまでの注意喚起では不十分だった。学生の意識の変化があり、課外の指導教育を徹底したい」と話した。

(京都新聞)


正直、あきれました。
どうして大学が謝らなきゃいけないわけ?
今回の事件は大阪のクラブで起きたこと。大学およびその関係者は、事件には一切関与していない。それなのになぜ、大学の副学長が謝罪会見を行う必要があるのか。
それに、「薬物乱用の危険性を説明する」のはけっこうですが、教員が学生に対して個別に電話するとか、そこまでする義理は全くないでしょう。どれだけの手間と時間とコストがかかるか、想像するだけで気が遠くなりますよ。

重ねて書きますが、この事件は「一般の成人男性が民間の施設で大麻を吸った」というだけのこと。その男性が所属していた組織からは目の届かない、全く無関係のところで起きたのは誰の目にも明らかなのに、なぜかその組織が責任の一端を負わされるうえ、「再発防止」という100%不可能なことまで強いられてしまう。
これが大学の敷地内ならともかく、大学とはまるっきり関係ないところで起きる犯罪を、どうやったら大学が「未然に防ぐ」ことができるのでしょうか。
本音では、副学長だって「そんなもん知るか!大学とは関係ないだろ!」と言いたかったはずですよ。間違いなく。

この前の、元力士の若麒麟の一件もそうです。相撲部屋から離れたプライベートで起きたことに、どうして親方や相撲協会がいちいち謝る必要があったのか。
もちろん、相撲協会にとって力士の逮捕は大きなイメージダウンになるので、興行の成功やスポンサー確保のために、何かしらアピールをする必要はあったんでしょうけど。

ただ僕は、これらの事件への大学や相撲協会の対応より、それを望んでいる社会こそが本当に気持ち悪いと思う。
若麒麟のときには、相撲協会の体質を批判するような的外れな意見が大勢を占めていました。そりゃ確かに相撲協会は、稽古と称したリンチで「職場での勤務中に」死者を出したうえ、それを隠蔽しようとするような腐った組織ですが、少なくとも若麒麟の一件に限れば、協会はひとつとして責められるべきところはありませんでした。それなのになぜ、文科省までしゃしゃり出てくるのでしょうか。理解に苦しみます。

このことから読み取れるのは、日本には「組織が構成員のプライベートまで監視し、干渉するという権利や義務を与えること」に対して抵抗感がないどころか、むしろそれを望んでいる人が少なくないようだ、ということです。
「責任が与えられるべきではない人に責任が押しつけられる」という状況は、どちらの当事者にとっても嫌なものだと思うんですけどね。そんな状況を許容する風潮が僕には全く理解できないし、何か得体の知れない不気味さを感じます。

それにしても、京都大学は敷地内に中核派のアジトがあったりして、かなりアナーキーな大学だったんですけどねぇ。その京大があんなくだらない対応を取ったことに、卒業生のひとりとしてがっかりした次第です。

2008年12月14日(日)

[評論] ブログは「精神的な成長を阻害する」そうです

法政大学教授で教育評論家の尾木直樹さんという方が、仙台で行われた教職員組合の講演でこんなことを話したそうです。

尾木教授は、インターネット機能付きの携帯を持つことで人への不信感が強くなるなど「基本的な人間関係の構築ができなくなる」と指摘。ブログについても「思春期に自分を客観的に見つめる本来の日記と違い、読む人を考えて自分を演じることになる。精神的な成長を阻害することだ」と危険性を訴えた。(アサヒコム)

ネット機能付きの携帯はどうなんでしょうね。パソコンのインターネットなら、小学生でも簡単な操作であんなものやこんなものまで見られるわけですから、パソコンよりはるかに機能のしょぼい携帯のネット機能を取り上げたところで、そんなに意味がないような気もします。

それより、問題は後半部分です。
ブログについて「読む人を考えて自分を演じる」ことが「精神的な成長を阻害する」とありますが、自分を演じることは、自分を客観的に見つめて、さらに客観的な視点を積み上げるという、すごく創造的な行為だと思うんですけどね。
「本来の日記」を書くのはあまりにも簡単です。ブログでもmixiの日記でも、他人に読まれることを考えているとは思えないような文章がそこらじゅうに落ちています。そんな日記であっても、「自分を客観的に見つめる」という手順を経て書かれています。少なくとも、過去の行為を頭の中で反復することは確実に行われています。
そこに「どう表現したら伝わりやすくなるか」「どうすれば面白くなるか」「そもそも読者はどんな日記を求めているか」などの視点を加えることで初めて、日記という表現を通じて「自分を演じる」ことが成立します。「自分を客観的に見つめる」ことが阻害されるどころか、ただ日記を書くよりはるかに広い視点からの客観性が要求されるわけですから、これを定期的に続ければ、「本来の日記」より何倍も「精神的な成長」に貢献しそうなものです。
仮に自分の経験ではないフィクションによって、本来の自分よりかっこいい人間を演じて他人の気を惹こうとする場合でも、その中身がどこかからのコピペではなく、書き手のオリジナルの文章であれば同じことです。

もっとも、この日記も読む人のことを考えながら書いているつもりですが、これを書いている本人の「精神的な成長」がどうだったのかを考えると、この教授が言ったことは、実は的を射ているのかもしれませんが。

2008年8月1日(金)

[評論] 桐生一高出場は当然の結論

ネットで見かけた時事通信の記事です。

桐生第一高、甲子園出場へ=高野連、1日に判断-野球部員逮捕

全国高校野球選手権大会(甲子園球場)に群馬県代表として出場が決まっていた私立桐生第一高校の2年生野球部員1人が強制わいせつ容疑で群馬県警太田署に逮捕された問題で、日本高校野球連盟の西岡宏堂審議委員長は31日、出場を直ちに差し止める必要はない、との判断を示した。1日の全国理事会で最終的な措置を決めるが、同校も出場を希望しており、認められる方向だ。
同委員長は「行為は重いが、事件に関与したのは部員1人。最近、同様の例で対外試合を差し止めたことはない」と話した。野球部員の強制わいせつ事件は一昨年に兵庫、栃木、富山3県であったが、対外試合禁止処分にはなっていない。
桐生第一の高橋昇校長は同日夕、学校で記者会見し「参加させていただけるならありがたい」と語った上で、日本高野連の判断に従う考えを示した。同校はこれに先立ち、野球部責任教諭が日本高野連を訪れ、事件を報告。教諭は「現在分かっている範囲の報告をした。選手は動揺している。」と話した。
桐生第一は昨年まで春夏の甲子園大会に11度出場し、1999年夏に全国優勝している。


むしろこの件で、桐生一高の出場辞退を望む人間が存在することがおかしいと思う。

事件を起こした高校生は確かに野球部員だったが、事件そのものは野球部の活動とは全く関係のないところで起きた。学校や野球部顧問が事件の発生を未然に防ぐことができたはずはないし、そもそも学校や部活動の外での生徒の行動に関与する権限は学校にはありません。学校が関与できる範囲の外で起きた事件である以上、学校や野球部、まして野球部の他の部員に責任は皆無です。
こんな当たり前のことが理解できない人間が少なからずいることに、憤りを通り越して、危機感すら覚えます。

「桐生一高は甲子園を辞退すべきだ」「高野連は桐生一高の参加を取り消すべきだ」と考えている人間は、なぜそういうふうに考えるのか。あるいは、なぜそう考えることに疑問を持たないのか。
高校あるいは野球部を、「子供を育てることに対して社会的な責任を持つ場所」と見なしているのではないか。
本来ならば家庭がその現場であるはずの「教育」を、高校という義務教育ですらない場所に押しつけたまま知らん顔をしている、無責任な人間なのではないか。
そんなふうに思えてなりません。

これと似たような経緯で、センバツ出場を辞退した駒大苫小牧のことを過去にこの日記で書きました。
自分の意見はすべてここに書いてありますので、ぜひご一読ください。

駒大苫小牧のセンバツ出場辞退に思う

高野連も、この2年半で少しは学習したようですね。
野球部が出場を辞退しなければいけないほどの不祥事とは、野球部としての活動が社会通念上好ましくない場合、たとえば対外試合で暴力事件を起こしたとか、そういった例に限られると思います。あるいは、学校そのものが不祥事を起こした場合。野球部の部員をお金でかき集めたことが発覚したとか。
だけど、ひとりの部員が学校から離れた場所で起こした犯罪については、罪に問われるのはあくまで個人。学校や野球部は事件に何ひとつ関わっていないのだから、他の部員が甲子園に出ることは全く問題がない。そんな当たり前なことを、高野連も理解したようです。

最終決定は明日なので予断を許しませんが、現時点での報道では、桐生一高は予定通り出場できるようです。
事件を起こした人間以外の部員は何も悪いことをしていないので、胸を張ってプレイしてほしいと思います。

2008年5月2日(金)

[評論] 表現の自由も言論の自由も、先人たちの血と涙で勝ち取った尊い権利だということを忘れないように

たまたま見ていた「NEWS23」の「もの言えぬ人々」という特集が興味深くて、思わず見入ってしまいました。
特集の内容は、「あらゆる圧力によって、言論の自由が脅かされている」というもの。
以前にこの日記でも書いた日教組がプリンスホテルに集会の開催を拒否された事件や、立川の反戦ビラ事件の最高裁での判決、あるいは公立学校での国歌・国旗問題などが取り上げられていました。
いつの世も、国家権力に異議を申し立てる者は徹底的に弾圧されます。たとえば安保闘争。たとえば長野での聖火リレー。権力とはそういうものです。
問題は国家権力の横暴ではなく、国家権力の横暴に対してあまりにも寛容な国民だと思います。中には権力の横暴に対して異議を申し立てる者を糾弾する「国民」すら存在します。プリンスホテルの肩を持つ人間が少なくなかったことには閉口しました。

表現の自由や言論の自由が認められたのは戦後のこと。選挙権でさえ、20歳以上のすべての国民に与えられるまでには、日本国憲法の公布を待たなければいけませんでした。
今、僕たちが当たり前のように享受しているさまざまな権利と引き替えに、戦争でたくさんの日本人が命を落としました。
言論の自由も、選挙権も、戦争で亡くなった先人たちの尊い命の上に成り立っているわけです。
そんな尊い権利を、権利を行使すべき国民が自ら否定するとしたら、これほど愚かなことはありません。
「自分と相反する主張は認めない」という理由で、気に入らない人の言論の自由を許さない人は、いずれその仕打ちは自分に返ってきます。せめて、それくらいは理解してもらいたいものです。

人権にしても、平和にしても、放っておいたらすぐに壊れてしまいます。
権力の横暴を許さず、今日を幸せに暮らすために、僕たち全員が権利を守る意識を持つことが大切です。
たとえば、次の衆院選。「表現の自由や言論の自由を大切にする政党、しない政党はどこか」という観点も、投票の基準になりうると思います。

「与えられることが当たり前」だと考える、受け身な人が増えているんでしょうかねえ。あるいは、自分の頭で考えない人が増えているのでしょうか。いろいろなことに無自覚な人が増えているように見えます。
あまり大げさに考えない方がいいのでしょうけど、楽観視するのも危ない気がします。

2008年4月26日(土)

[評論] 秋葉原の野外露出逮捕事件とその反応

先日、秋葉原へ行った時に偶然「野外露出」の現場を見たのですが、ついにその当事者が逮捕されたそうです。
以下、デイリースポーツオンラインより引用します。

東京・秋葉原の歩行者天国で下着を露出させるなどしたとして、警視庁万世橋署は25日、都迷惑防止条例違反の疑いで、都内在住の自称沢本あすか容疑者(30)を逮捕した。
沢本容疑者のホームページによると、自称アイドルで2004年ごろからイメージDVDを出版。歩行者天国で歌いながら下着を撮影させるなどし、インターネットや雑誌に取り上げられることもあったという。
調べでは、沢本容疑者は20日、千代田区外神田4丁目で「路上撮影会」と称して過激なポーズを取り、公共の場所でみだらな行為をした疑い。

僕が彼女を見たのは3月16日。そのときの様子を過去の日記で書いています。
繰り返しになりますが、あの日の僕は、野外露出の光景を見てもそんなに驚かなかったんですよね。
確かに、冷静に考えるとものすごい光景でした。白昼堂々、人があふれる歩行者天国で自ら痴態を晒す女性の姿。そこに群がるカメラを持った男たち。どう考えても異常です。
それでも、あの街に行くと、異常が異常と思えなくなる。「やっぱり、そういう街なんだな」と納得してしまう。
なにせ、街の目立つところに堂々と少女のアニメ絵が掲げられているわけです。

言い方は悪いですが、ごみを外に捨てる人間は、何もない場所ではなく、すでにごみが捨ててある場所を選びます。ごみひとつないきれいな場所には、よほど心の曲がった人間でもない限り捨てることはしません。
秋葉原という街は、そのいたるところにすでにエロがあるから、こうして新たなエロがやって来るわけです。いたって自然なことです。街がエロを許容しているのです。
反面、同じ東京でも渋谷や新宿ではこうしたパフォーマンスは見られません。エロのないところでエロを表現するのは、非常に勇気がいるからです。
もっとも、いくら秋葉原でも警察までエロを許容しているわけではないので、こうした行き過ぎたパフォーマンスは当然取り締まりの対象となります。

ネットでの反応を見ると、ほとんどが沢本さんの行動を非難し、警察の対応を評価しています。でもこれは決して正義感から来るものではなく、単に「見たくないものを見せられたから」と、個人の好みで語っているだけです。もし露出していた女性が彼らが好む容姿であれば、全く逆の反応になっていたはずです。
警察は、彼女が30歳だから逮捕したのではありません。「人前でエロいことをする」から逮捕したわけです。ということは、秋葉原にはびこる「人前に晒されたエロ」は全部規制の対象になる可能性があります。野外露出と同じように、あのロリコンみたいな絵が不快だという人もいるでしょう。あっちのエロがだめでこっちのエロはOK、なんて理屈は通用しません。
だから、二次元キャラのエロをこの街の目立つ場所に残したい人は、簡単に今回の事件で警察側の肩を持つべきじゃないと思うのですがいかがでしょうか。むしろ「表現の自由のために戦うぞ」ぐらい言わなきゃ。

2008年2月2日(土)

[評論] 新高輪プリンスホテルが日教組の集会開催を拒否した件に対するブログでの言及

夕方にインターネットのブログ検索で、「日教組」を検索してみました。
そうしたら、ホテル側の肩を持つようなタイトルのブログが出るわ出るわ。こんなの小学生が考えたって、誰が悪くて誰が悪くないか分かる話だと思うのですが。
このことをネタに日記を書こうと思い、さっきあらためてブログ検索で「日教組」を検索したら、今度はホテル側を非難する立場のブログの方が多くて、逆に拍子抜けしてしまいました。

多くの人が仕事をしている時間帯に書かれたブログは「プリンスホテルGJ」などと非常識な決断を下したホテルを持ち上げ、意味なく日教組を非難する内容ばかり。対照的に、仕事を終えて帰宅した人が書いたブログの多くは、冷静で常識的な判断をしている。
この事実は、何を意味するのでしょうか。

2007年11月7日(水)

[評論] 大人が大人を公の場で呼び捨てにすること

今回もプロ野球関連の話題から。
少し前のニュースですが、セ・リーグのクライマックスシリーズで、優勝したジャイアンツがドラゴンズに3連敗したときのこと。読売球団の会長が、こんなことを言ったらしいです。
以下、スポニチアネックスの記事を引用(太字は筆者)。

「作戦ミスが3日続けば負けるんだよ。敗因はベンチワーク?それもある。落合の方が頭が良かったんじゃないの。負けるべくして負けたんだよ」

この人、何様のつもりなのでしょうか。

落合監督は、読売ジャイアンツや読売グループとは資本関係のない、中日新聞系列のドラゴンズの監督です。
そして、読売球団の会長職に就いている渡邉恒夫氏は、もちろんプロ野球の経験者ではありません。
確かに、過去には渡邉氏がジャイアンツのオーナーで、落合さんがジャイアンツの選手だったこともありました。でも、それは10年近く前の話です。あれから状況は大きく変わり、落合さんは別のチームの監督になったわけです。
その落合さんを、渡邉氏は公の場で「落合」と呼び捨てにしたわけです。
もちろん、僕が現場を見たわけではないので、この記事自体が事実と異なっている可能性もあります。でも、渡邉氏が「落合」と呼び捨てにしたのをスポーツ新聞が気を使って「落合監督」と敬称をつけることはあっても、その逆はあり得ないでしょう。もしそんなことをしたら、明らかにそれは悪意ですから。
同じプロ野球の後輩ならともかく、全く畑違いの相手に対して、人前で大人が大人を呼び捨てにするのは、人としてどうなんでしょう。
僕は、そういう人間は軽蔑しますね。たとえどんな立場の人間であろうとも。

とはいえ、渡邉氏はプロ野球に深く関わる人間ですから、プロ野球の選手や監督に対して呼び捨てにする理由が、100%ないというわけではありません。
上には上が、いや下には下がいました。
以下、サンスポのニュースから引用(太字は筆者)。

石原氏は落合監督の采配について感想を聞かれて「実績で勝負している球団のCEOとしては、落合は見事だと思う。泣いて馬謖(ばしょく)を斬ったんですよ。絶対正しかった」と絶賛。

今度は、プロ野球とはまるっきり関係のない人間の発言です。「石原氏」が誰のことを指すか、分からない人はいないでしょう。
日本シリーズの第5戦で、落合監督が8回まで完全試合を続けていた山井投手を降板させ、岩瀬投手を送ったことに対する、石原慎太郎都知事の発言です。

落合さんは、金田正一氏のことを「金田」と呼び捨てにすることはあっても、石原氏を「石原」とは言わないでしょう。普通の人は、公の場で他人を呼び捨てにしません。そんなことをしたら「常識のないバカ」と思われます。
石原という人は、その程度の人間なのでしょう。

もし僕が年を取ることで、他人を尊敬する気持ちがなくなるとしたら、年を取る前に死んだ方がましです。
彼らを見ていると、そう思わずにいられません。

2007年9月28日(金)

[評論] 善人が報われて、悪人が駆逐される世の中であってほしいと強く願う

ある大企業のある部署で、17歳の新入社員が仕事中に亡くなりました。
その部署は全寮制で、同じ部署の社員は全員、同じ宿舎で寝食をともにすることになっていました。
17歳の新入社員は、ある時から先輩たちに暴力をふるわれるようになりました。彼は先輩からのリンチに耐えかねて何度も寮から逃げようとしましたが、そのたびに先輩社員に捕まり、さらに凄惨なリンチを受けました。それも、仕事中にです。
仕事中だから当然、部署の責任者もそこにいました。ところがその責任者、リンチを止めるどころか自らも加担。金属バットで新入社員を殴る同僚とともに、責任者の立場でありながら、ビール瓶で新入社員を殴るという蛮行に出ました。
この時のリンチが直接の原因となり、新入社員は命を失いました。責任者も先輩社員も明確な殺意こそなかったかもしれませんが、「二度と逃げようなんて思えないほどの強い恐怖感を植え付ける」という目的があったことは疑いようがありませんでした。

部署の責任者は、このことを「仕事中にやむなく起きた事故」として、企業のトップに報告しました。自分の会社の社員が亡くなっているというのに、企業もそれ以上のことを調べようとはしませんでした。
マスコミにもこの事件はすぐに知られるところとなりましたが、当初は企業側の「事故」という報告を真に受けたため、第一報の後は特に大きく報じられることはありませんでした。

遺体は、通常はすぐに両親のところに戻るのですが、驚くことにこの部署の責任者は、両親の了解を取り付けることなく、火葬しようと考えました。葬儀業者から両親のもとに連絡があり、両親は当然これを拒否。遺体を家族のもとに戻してもらいます。もし業者から連絡がなかったら、両親の知らないところで遺体は灰になってしまったのでしょうか。

遺体が家族のもとに戻ったとき、企業の関係者は誰ひとりとして付き添いませんでした。
その遺体は、とても人に見せられるような状態ではなかったといいます。顔は原型をとどめないほどに痛めつけられていました。
業務中の事故で亡くなったと聞かされていたのに、どうしてこんなことになるのか…。不審に思った両親は、彼の遺体を司法解剖してもらうことにしました。
解剖の結果を受けて、事件性ありと判断した警察が動きました。企業の該当部署やその責任者、同僚らに対して、慎重に捜査を進めます。

新入社員が亡くなってから3か月、警察の捜査により、事実が明らかになりました。
責任者の言うような「事故」などではなく、責任者と同僚がグルになって彼をリンチしたこと。つまりは、殺人に限りなく近い傷害致死だったこと。
遺体を両親に無断で火葬しようとしたこと。つまりは、部署ぐるみで事実を隠蔽しようと画策したこと。
この企業はつい最近まで、別の問題でマスコミに騒がれていました。けれどそれは「ひとりの社員が職務放棄をした」というだけの小さな問題に過ぎませんでした。その裏では、これとは比べものにならないほど重大な問題が、3か月にわたって隠蔽され続けてきたのです。

さて、事実が発覚して、企業のトップはどのような対応を取ったのか。
驚くことに、部署の責任者および社員に対して何の処分も下さず、ただ「警察の捜査を待つ」と言うのみ。自分の企業で仕事中に人をひとり殺しておいて、殺した人間を企業として処分しない。コンプライアンスもへったくれもあったものではありません。仮に、もしこれが本当に事故だったとしても、部署の責任者が何の処分も受けないなんてことは普通あり得ないでしょう。自浄作用ゼロの、最低の企業です。
そもそも、企業のトップはこの事実を本当に知らなかったのか。また、知らなかったとしても「知らない」で済まされることなのか。通常ならば、トップとしての相応の責任があるわけだから、「知らない」というのは許されない。企業とは社会的存在であるから、社会に対して一定の責任を負っている。そのことに対する自覚が著しく欠けていると断言できます。

これらのことから、該当部署は「人殺し集団」であり、人殺し集団を野放しにした企業は「人殺し企業」である、という結論が導かれます。
新入社員がもし本当に使えない人間だったら、解雇すればいい話。もちろん企業が労働者を簡単に解雇することはできませんが、たとえば逃げたところを捕まえたりせずに、むしろ逃げたことで職務放棄とみなして、クビにする口実にすればいい。それをなぜ、わざわざ捕まえてリンチする必要があったのか。新入社員と上司という関係性において、そんなことをする必然性はゼロです。必然性がないのに人を殺したのだから、情状酌量も認められるべきではないでしょう。

読者の皆様においてはきっと、2行目あたりから該当部署を「時津風部屋」、企業を「相撲協会」に変換して読んでいただいたことと思います。
人の未来を奪った鬼畜が、今も人の顔をして生きている。その事実に憤りを感じます。
神戸の滝川高校の自殺もそうですが、どうして悪人が人間の顔をして、大手を振って生きていられるのか。
もちろん、大半の悪人はそれにふさわしい裁きを受けます。ペッパーランチで女性を襲った鬼畜男は、懲役12年の実刑となりました。これが通常の姿です。
ところが、世の中には「制裁されない悪人」がいます。ライブドア堀江と日興コーディアルの例を持ち出すまでもなく、ひどい悪事を働いたのにも関わらず、それにふさわしい制裁を受けた人間と受けていない人間がいます。
つまり、金と権力を持ってさえいれば、国家権力やマスコミを押さえ込むことができるわけです。滝川高校にしても、バックに大企業がいるとかいないとか。結局はリンチに加担した下っ端数名にすべての責任を押しつけて終了、ということにならないことを祈るばかりです。
ただ、相撲協会の場合、曲がりなりにもこれだけテレビで騒がれるということは、協会の影響力が低下したということでしょうか。かつて、八百長の告発にからんで相撲関係者が相次いで謎の死を遂げるという事件がありましたが、その話題はテレビでは一度も見たことがありません。「週刊文春」か何かで読んだだけです。
今回の事件についても、昔なら金と暴力を背景に、被害者家族との一方的な示談に持ち込むことで、マスコミに漏れないようにできたのかもしれません。しかし、今回は隠蔽しきれませんでした。

警察は各方面からの圧力に屈することなく、徹底的に捜査してもらいたい。裁判所にもしっかりと裁いてもらいたい。そのうえで、時津風をはじめリンチに加担した鬼畜どもには、実刑判決が出ることを望みます。
善人が報われて、悪人が駆逐される世の中であってほしい。そのための条件は以下の2つだと思います。
ひとつは、悪人は必ず相応の制裁を受けること。法が適切に運用されることで初めて、悪事に対する抑止力となり得る。大人だろうが子供だろうが同じ。
もうひとつは、社会に参加するすべての人が、悪人の存在を排除するように働きかけること。悪人を許容することは、結果として自分の所属する社会を自ら危うくする。悪は徹底的に憎むべきで、そうした態度を普段から表明すべき。
悪人がでかい顔をして生きていけるような世界には、僕は住みたくありません。

2007年9月23日(日)

[評論] 自民党総裁選とウェブ

福田康夫総裁
大方の予想通り、福田康夫さんが自民党の総裁に選ばれました。
テレ朝の特番を見ていたのですが、麻生さんが予想以上の票を集めたことに、出演者の田原総一朗氏らは驚いていました。他局を見ても「善戦」という評価でした。

ネットでいろいろな人のブログを検索してみたのですが、福田さんを支持する人は少なくて、かなり多くの人が麻生さんを支持する内容の文章を書いていました。「福田さんを支持する人はわざわざネットに文章なんて書かない」ということでしょうかね。それで結果的に、麻生さん支持の声ばかりが目立つという現象。僕には福田さんがそんなに悪いことを言っているとは思えないし、麻生さんの思想や政策には賛成できないことが多いのですが。
いわゆるWeb2.0とは、サイレントマジョリティは完全に無視される「言ったもん勝ち」の世界。正しいけれど何も言わない人は、間違っているかもしれないがよくしゃべる人に駆逐される。少なくとも表面上はそんなふうに見える、ゆがんだ世界。そのことを自覚せずにインターネットに漬かっている人が増えているとすれば、かなり危険な兆候だと思います。

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プロフィール

【フォーキー】
編集者
1977年2月20日生まれ
東京都武蔵野市在住
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